「被ばくクスノキ80年 長崎と山王神社」 ーーー 山王神社・禰宜 舩本 貴之氏 (12月11日)

 山王神社の禰宜舩本と申します。お諏訪さんに続き山王神社も13年後には400年を迎えます。

 山王神社は1638年にお寺さんとして建立されました。その後山王神社と浦上皇大神宮と合祀され現在に至っております。

 1945年8月9日11時2分長崎に原爆が落とされました。約7万4千人の方が亡くなられています。山王人社は原爆中心地から直線距離で800mしか離れていませんので甚大な被害を受けました。今映っているのが一の鳥居、奥に映っているのが二の鳥居です。鳥居間の距離からも原爆を受ける前は大きな神社であったと考えられます。爆風でずれてしまった燈籠を見ると原爆の凄まじさが見て取れると思います。クスノキは原爆で葉が全てなくなってしまっています。原爆が落ちた場所は放射能の影響で数年から数十年は草木も生えないと言われますが、約2ヶ月後に新芽を出していました。町の人たちは復興に向けて、頑張っていくための勇気と希望をこのクスノキに見出していました。

 平成10年から本格的なクスノキの治療が始まりました。昭和44年に長崎市の天然記念物に指定されているため1,000万の4分の3は補助金が出ましたが、それでも負担金を捻出するのに大変苦労しました。クスノキの色の違うところは火傷の痕です。段々樹皮がまいていきあと数十年後にはなくなると思われます。今もなおクスノキが頑張っている証拠です。平成26年に福山雅治さんがクスノキの楽曲を発表したことで認知度が飛躍的に向上しました。その1年後長崎商工会議所の青年部がリレーソングを企画し、オール長崎といった趣のあるプロモーションビデオをつくられました。

 平成30年に長崎市がクスノキ基金を設置し、被爆の木の治療を行っています。これによりクスノキの治療費も長崎市が全額負担してくれるようになりました。続いて1本柱の紹介をさせていただきたいと思います。1本柱は大正13年に女性の寄付で建てられた鳥居です。おそらくお父さんとか旦那さん、弟さんとかの安全を祈って建てられたのではないかと思います。この鳥居も爆風で位置が少しづれ動いています。しかしながら、クスノキ同様立ち続ける姿が街の人達を勇気づけていたと聞いています。

 山王神社もお祭りを一生懸命に行っていますが、氏子区域の自治会の協力が少なくなってきており、今後お祭りをどうやって執り行っていくかに試行錯誤しています。少子化も相まって、子供神輿の担ぎ手も少なくなってきました。神輿を軽くしてでも氏子区域を回りたいということでやっています。地域の人を巻き込みたいとの思いから稚児行列を新しく始めました。

 最後になりますが、山王神社には2つの役割があると考えています。1つ目は祈りの場です。日本人が脈々と受け継いできた場所を守り続けること。正月のお参りとか、五穀豊穣であったり、世の中の平和であったりなどです。もう1つが継承の場です。平和の大切さ、原爆の悲惨さを伝えることが当神社の役割であると思っています。

 これからも世の中の人達が、豊かに幸福に笑顔あふれる世の中のなるように精進していきたいと思っております。